一時期体調を崩していたとき、よく来ていただいてたお客さんが食事をしながら僕を見て、「気」が落ちてるよ、とぼそっと言った。ただ単においしくないとは言われなかった。料理は口に入るものだしサービスは人に近づいたり離れたりするもの。わかるひとは、気持ちの入り具合とか温度みたいなものをすぐに感じてしまうのかもしれない。
レストランの素晴らしいところはいろいろあると思うけど、僕は最高の消耗品だと思っている。例えばシャルキュトリーやパティスリーにもそれぞれの魅力がもちろんある。パティスリーで同じケーキを4つ買うなら、なるべく同じ形をしていてもらいたいし、ある程度持ち運んでからでもこぎれいに食べられるもののほうがいい。
でもレストランであるなら、10分後に溶けてなくなってしまうデザートを出しても怒られないし、すぐに風味の変わるソースもある。皿に盛り付けられてからも料理は変わっていくし、何を飲んで合わせるかによっても印象が違ってくる。そしてその見えない形をコントロールしていくのがサービスの仕事になる。そのときにしかないもので僕はいいと思っている。
だからよくホテルなどで、食事やパンとかお菓子を持って帰ろうとしている人を見かけるけど、そういうことはしないほうがいいと思う。もちろん衛生面のこともあるけど、それよりもそういうものはその場所だからよかったのであって、きっとそこを離れたらそんなに興味の持てるものではなくなっているものだから。「気」を切らさないほうがいいと思う。映画を映画館でない場所で観るのなら、家でくつろいだ格好で観るほうがいい。
数か月前、まだ暖房をつけていた時期に4人のお客さんにお昼に来ていただいた。卒業から30年以上経った中学校の初めての同窓会のときのケータリングを考えているということだった。ゆっくりランチを食べていただいてから、少しお話しして5月にケータリングをお受けすることになった。温かくて優しい方々だったけど、細かいことまで真剣に話している。いい年をしてこういう企画の細かい作業に打ち込むと、一歩間違えれば周りから冷めた目で見られたりもする。最初で最後の同窓会です、と言っていた。熱い気持ちを感じて僕もすぐに気持ちが入った。
それからはケータリングについていろいろとやり取りをすることになった。3回連絡をいただいて僕が1回返事をするような感じだったかもしれない。いくつか仕事が重なってしまうとすぐに満足なお返事ができなかった。目の前の仕事をしながら、まだずいぶん時間があると思いながらも毎日その同窓会のことを考えていた。いただいたメールの中には、すでに亡くなっている方のご家族からのお手紙もあった。会費もお支払いしたいということが書いてあった。心が震えるときがある。僕らは料理とサービスをすることしかできないけど、でもそこに気持ちが入ればいいものができる。
同窓会の前日にはお店にお菓子を持ってきていただいた。普段は遠慮したいけど、今回は自然にいただいた。これを食べてやるかと思った。箱を空けたら小さいときに親がよく買っていた店のどら焼きが入っていた。
当日は僕も会場で挨拶をさせていただいた。幹事の方々の顔を見たら泣きそうになった。一回り以上も年下の人間をここまで頼ってくれるひとがいて、同窓会をこんなに真剣にやったひとたちがいた。僕らがその年になったときに同じことができるかなと思った。そういうところは潔くいけるようにしたい。最初で最後でなくて、またいつか何かできますように。