今年の12月で千石の三百人劇場が閉館した。僕が三百人劇場に初めて行ったのは10年以上前になるけど、最後に行ったのもきっと10年前くらいになる。僕が初めて行ったときで確かもう300の座席数の劇場ではなかった。覚えてないけどそういう由来はロビーの壁に書いてあったかもしれない。僕にとっては三百人劇場は映画館だった。
千石という駅名の読み方は三百人劇場に初めて行った日に知った。まだ道を知らなかったから、最初は雑誌の案内のとおりに最寄り駅から行くしかなかった。今はずいぶん選択肢が増えたけど、当時の都営地下鉄はいつも乗る人以外は乗らないようなよそ行きの電車だと思っていた。僕がこの劇場に不思議な距離を感じてしまうのは、特集上映された多国籍の映画からではなくて、この勝手なイメージのせいだと思う。
僕はこの劇場で、フランソワ・トリュフォーの4作品を見た。「アデルの恋の物語」、「トリュフォーの思春期」、「恋愛日記」、「緑色の部屋」。トリュフォーの後期の作品で、晩年と言うにはすこし早い微妙な時期の作品の特集だった。ここにはトリュフォーの濃い部分が詰まっている。落ち着いた空間で見ることができたからかもしれない。好き嫌いではなくて僕はこの作品はどれもよく覚えている。
トリュフォーは子供から大人を描いて、女性から男を映していく。子供は無垢で可愛いらしくて、女性は美しくて、男はだらしなくて、大人には喪失感がある。その優先順位はヌーヴェル・ヴァーグという括りから外れているようにも思える。そしてその境目をトリュフォーは繊細に描く。
70年代後半に撮られたこの4作品からは、トリュフォーの色んな執着が見える。アデル・ユゴーの愛情の狂気を見たら、イザベル・アジャーニは可愛いだけじゃもちろんだめに決まっている。「トリュフォーの思春期」は全編ほぼ子供だけの出演で作られていて本当に微笑ましい作品だけど、さりげなく家庭での悲しい部分も描いている。「恋愛日記」は冒頭以外はっきりと思い出せない。「女性の脚は地球を測るコンパス」。こんなことを言えるのはフランス人の監督の中でもトリュフォーだけだろう。平たく言えば女性と女性の脚についてのお話。三百人劇場で見ていなかったら違う種類の映画だと思ったかもしれない。
僕はトリュフォーの作品では「ドワネルもの」がやっぱりいちばん好きだ。先日クロード・ジャドが亡くなった。アントワーヌとクリスティーヌがもう揃うことはない。
それと違って「緑色の部屋」はまた見ることはないだろうと初めて見たときに思った。死を扱っているとかつまらなかったからとかではなくて不思議になんとなくそう思った。三百人劇場で見た記憶ごと残っていたのかもしれない。帰りに千石、巣鴨のあたりでラーメン屋に行くのも楽しみだった。
トリュフォーの特集をよく組んでいたユーロスペースも今年移転した。その同じビルの中には新しい名画座も入った。また映画を見に出かけてみよう。