2011 . 04 . 17

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パンの新作、ローズマリーのベーグルです。輪っかの形に生地を作り、茹でてからオーブンで焼き上げています。バゲットよりも、さらにもちっとした食感で作りました。ローズマリーの風味が全体に漂っています。単独でも十分に軽食となる、つい食べたくなってしまうような食事パンです。ぜひお試しください。現在はお食事のお客様と、ご予約での販売とさせていただいています

nana
 
 
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 aux urnes,citoyens!

料理人やセルヴールで選挙に行かないことを得意に話すひとがけっこういる。朝に投票してから仕事に来たなんて話すひとがいると、真面目なひとだなと僕も思っていた。選挙に参加することは、制服のボタンをしっかり留めるようになるようなものかもしれない。
僕が初めて選挙の力を見たのは2002年のフランスの大統領選挙だった。4月の第一回投票で現職のジャック・シラク大統領に次いで2位に入ったのは、極右と呼ばれる政党、「フロン・ナショナル(国民戦線)」のジャン=マリ・ルペンだった。シラク大統領とともに決選投票に進むことが当たり前に思われていた社会党のリオネル・ジョスパン首相は3位となって、選挙の舞台から姿を消すだけではなく、その責任から政界からも引退することになってしまった。
フランスは文字のとおりに大騒ぎになった。右派と左派の候補者が争う前の前座で波乱が起こってしまった。リベラシオンの一面は「NON」。フィガロでも「地震」。フランス人に地震は怖いんじゃないかな。
こうなってしまった理由はいくつもあった。右派と左派の政策に目立った違いはなく選挙戦は低調で退屈ともいわれた。そんなときに、治安と雇用の維持、そのための移民や外国人の排斥、フランスフラン通貨の復活など、分かりやすいルペンの言葉は、浮かんで眺めているひとには面白く見えたのだろう。ルペンが票を獲得した地域は、高齢者や貧困層が多いとされたり、国境の周辺である地域が多かった。さすがのフランスでも週に35時間働いて幸せというひとばかりではない。そういったひとの多くが、右寄り左寄りではなくて、「極端な」右に位置することになった。
また左派は候補者が乱立してしまうことになり、ジョスパン以外の候補者にも多くの左派の票が流れた。得票率は、シラクが19.88%、ルペンが16.86%、ジョスパンが16.18%。そしてこのほかに13人もの候補者がいて少しずつの割合を分け合った。どうせ上の二人は決まっているし、ささやかに何かを動かしてみるつもりでいつもと違う党に投票したらこんな結果になってしまった。そんなひとも多いようだった。
ルペンはサッカー代表チームに対して「親がラ・マルセイエーズを歌えない選手の集まりなんて真の代表ではない」と言っている。世界一になったブルーが、ルペンにはブルーに見えない。多くの選手が声明を出した。投票に行ってほしい、ルペンを落としてほしい、ワールドカップを辞退してもいい。スポーツ選手のその態度に僕は驚いた。
メーデーのあとの決選投票で、シラクは82.21%の票を獲得して大統領に再選した。第一回投票の1位としては史上最低の得票率だった候補者が、決選投票では逆に史上最高の得票率を得ることになった。右と右の戦い。それは「選ぶ」選挙ではなくて、「選ばない」選挙だった。
投票率は第一回投票が71.60%、決選投票では79.71%だった。第一回投票の結果は投票率の低さも影響しているといわれた。新聞には棄権の率の数字が載っていて、僕は棄権という単語を知らなかったのではじめはそっちの数字が投票率だと思っていた。気が付いてから辞書をひいてみたけど、僕の中の辞書なら3割の投票率でも低いとは思っていなかった。
第一回投票と決選投票の間には、パリの街でマニフェスタシオンの列が作られた。レピュブリックからバスティーユ、ナシオンあたりまで。参加者は数十万人と報道されていた。テレビで見ると僕と同じ世代だけでなくて、もっと若い子たちもたくさん歩いていた。沿道のカフェも盛り上がっている。その景色にあまり違和感を感じなかった。急に変わるのは照れくさいから、まずはできるだけ投票には行くようにしてみようと思ったときだった。